はじまるくん
広島赤十字病院〜看護婦〜
広島赤十字病院(現・広島赤十字・原爆病院)では、原爆により医師や看護婦、看護学生など病院関係者51人が亡くなり、250人が重軽傷を負いました。焼け残った病院には、原爆投下直後から被爆者がつめかけました。
医療活動を支えたのは、16、7歳の看護学生たちでした。階段や地下室にいたるまで足の踏み場もないほど混雑した病院の中で、慣れない看護が続きました。
一方、原爆による急性症状やケガのため、看護婦になる夢をあきらめた学生もいました。
一発の原爆は、白衣の天使にあこがれた少女たちの人生を大きく変えたのです。
【2005.2.26放送】


袋町国民学校〜再会
原爆によって広島市内中心部は焼野原となりました。
わずかに残った鉄筋コンクリートの建物は人々のよりどころとなりました。
袋町国民学校もその一つで、被爆直後から多くの被災者が集まり、救護所として治療が続けられていました。
フィルムには医師と治療を受ける患者の、2人の女性が映っています。
この2人が1995年、50年の歳月を経て再会しました。
【2005.2.19放送】


京橋
京橋は爆心から約1.4km。爆風が橋を渡る形で抜けたため、両側に建つ石柱の上部がずれた程度で通行には支障がありませんでした。市内中心部で被爆した人々の中には京橋を渡り、郊外への避難を試みた人も少なくありませんでした。
道路整備により、車や人の流れが変わった今も京橋は静かに人々の行き来をみつめています。
【2005.2.12放送】


測定〜空中爆発点〜
被爆2ヶ月後の広島には、原子爆弾の様々な影響を調べるため、全国から多くの科学者が集まっていました。
原爆がどのあたりに落ちたのかは、木や建物の倒れた方向からだいたいつかめていましたが、科学者の関心はその正確な場所でした。
フィルムには空中爆発点の位置を調査する2人の物理学者が撮影されています。 2人はどのようにして空中爆発点を計算したのでしょうか。
【2005.2.5放送】


中国配電本店
中国配電本店ビルは、今の中国電力本社の場所にありました。 原爆による熱線で自然発火、地上部分はコンクリートの外郭を残して全焼しました。
被爆当時、本店の出勤者は272人、うち40人が即死で、強烈な爆風で窓枠ごと吹き飛び、壁に貼り付けになって息絶えた人もいた、と記録されています。
市内全域は原爆投下と同時に停電となり、特に爆心から2km以内は送電設備も壊滅状態でした。
【2005.1.29放送】


広島赤十字病院〜被爆〜
広島赤十字病院(現 広島赤十字・原爆病院)は爆心地から1.5qの距離にあり、収容患者250人と病院関係者51人が犠牲になりました。全焼をまぬがれた病院には被爆者がつめかけ、医薬品はすぐ底をつきました。
原爆医療の要として被爆者治療を続けた当時の病棟の一部は、現在の病院の敷地内に保存されています。爆風が窓枠をねじ曲げて通り抜けた生々しい傷跡を刻んだモニュメントは、もの言わぬ被爆の証言者です。
【2005.1.22放送】


麒麟麦酒広島工場
麒麟麦酒広島工場は、12万m2の広大な敷地に醸造工場など30数棟を備えた日本最大級の工場でした。爆心から4.05キロ離れた工場は停電し、屋根や窓は破損。従業員の多くがけがを負いました。工場には広島市内から被爆者らが避難し、混乱に陥りました。
戦後も稼動しつづけた工場は1998年に閉鎖されました。現在は大型ショッピングモールや見学施設を備えた「キリンビアパーク広島」として生まれ変わり、人々でにぎわっています。併設のビール生産ラインでは、年間2000キロリットルの生ビールを生産。戦禍を乗り越えてビールを出荷し続けた職人の気概を今に伝えています。
【2005.1.15放送】


黒い雨
原爆の投下で科学者の関心は、残留放射能に集まりました。
放射線測定の一つのテーマに「黒い雨」があります。
「黒い雨」は、爆発のときに巻き上げられた泥やチリ、それに火災によるススを含んだ雨のことです。
投下30分後に爆心地から降り始め1時間経った頃、北西方向の楕円形の広い範囲に広がりました。川や池の魚が死んだり井戸水を飲んだ人は、3ヶ月にもわたって下痢の症状が続きました。
放射線の人体に与える影響は、60年経ったいまも解明されていません。
【2005.1.8放送】


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