勤めている建設会社が始めたいちご栽培を20歳の時に任せられ そこから挑戦が始まった。 当時は農業の知識を持つ人がおらず、県立農業技術大学校を卒業していたことから立ち上げの責任者に抜擢された。不安も大きかったが、生まれ育った廿日市のいちご農家とのつながりもあり、相談とアドバイスをもらいながら5年たった現在は生産量も増え、JAの産直市にも出荷するようになっている。 自分にしか作れないいちごを作って産地を支えたいと今後を語る。