故郷の島で就農し11年目を迎える。レモンなどの柑橘類を育てるが柑橘産地だけに助けてくれる人も多い。 JAの担当者も「真面目にコツコツとやる農家」と評価している。出荷の減る夏場に収穫できるよう、夏出荷専用のハウスを整備した。全国一のレモン産地の一員になれていることが励みにもなるという。
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柑橘農家になって半年。「柑橘の女王」といわれる「せとか」をハウス栽培で作っている。 ハウス栽培のせとかは大玉で皮が薄く傷がつきやすいために栽培が難しいとされる。栽培を勉強するうちに「愛情が増してきた」と本人。苦しいことや迷う時には、生まれ育った島の景色が癒しになるという。そんな農業が天職だと感じている。
1年前に大崎上島町に移住し、柑橘栽培を始める。 きっかけは広島県産のみかんを食べてその味に驚いたこと。 北海道出身ながら広島カープと広島県出身の浜田省吾のファンだったこともあり、広島で柑橘を作ることを決意した。 町やJAのバックアップで農地を確保し柑橘農家としてのスタートを切った。6月は「ハウスせとか」の摘果作業に追われる。
4年前に新規就農して特産のトマト、きゅうりを作る。 「おと姫トマト」のブランドで生産されるトマトは大玉で糖度が高く、広島県の「安心!ひろしまブランド」にも認定され、過去には農林水産大臣賞を受賞している。 4年目を迎え、ようやく手応えを感じたといい、今後は同じく特産のレモン栽培にも取り組んでいく予定。
タグ:野菜 男性
1年前に東京から祖母が住んでいる豊町に移住した。 果樹栽培の研修制度を受け基本的な技術を習得し独立した。 以前は仕事で海外に駐在していたこともあったが「自分の思うようにできる仕事がしたかった」と農業の道を選んだ。島での生活は都会にない良さがあると実感している。
父親の正純さんが定年退職後の2年前、故郷の豊浜町に戻り実家の柑橘栽培を受け継いだ。次男の祐さんも2ヶ月前、東京から島に移住し、父親と一緒に農作業を始めた。レモンを中心に栽培しながら、耕作をしなくなった農地も借り受けて、島の伝統産業を守っていければという。
実家が柑橘農家だったことから仕事を手伝って来たが、独立するために新規就農研修制度を受けた。 みかんの一大産地である豊町も高齢化が進み、農地を手放す人も出て来た。その農地を買い取って、みかんや不知火、そして広島県が導入を勧めているレモンの栽培を行いながら、高品質の不知火を生産するための新しい栽培方法にも挑戦している。
広島市内で会社員として勤務していたが、25歳の時に故郷の島に戻って来た。柑橘を作っていた親の勧めもあり、独立した農家になることを決意。 JAグループが行う柑橘専門の新規就農研修を受けて約1年前に就農した。地域のベテラン農家に農地を借りているが、将来は親の柑橘園も使っていきたいという。
37歳の時に広島市内から農業をするために叔母の住んでいた島に移住し準備を進めて来た。JAの仲介で今年5月に農地を確保し柑橘を栽培している。 自然の中で働くことはストレスも少なく、収穫の喜びも感じられると農業の魅力を語る。島に若手の農家が増えることで地域に貢献できるのではと考えている。
タグ:果実 男性
東京での会社勤めを経て故郷の島に戻って実家の農業を継ぐ。夏はブルーベリー、秋から春にかけては柑橘を栽培する。山の斜面で作る柑橘の作業を効率良くするために段々畑を再整備したり、枝をまっすぐに伸ばす栽培方法などを取り入れている。消費者が求める安全と味の良さを追求していきたいという。